東西のプライバシー
私のスイス生活の中でひとつ印象に残っているのは、この国では、幼い頃から個人主義の教育が徹底されているらしい、ということでした。プライバシーに対する意識がその一例です。長期休暇中にお世話になったホームステイ先には女の子がふたりいて、上の子は当時12歳、下の子は1歳になったばかりでした。
3月下旬にスイスへ到着した直後の1ヶ月間は滞在費を払って泊まっていたため、食事と個室は、むろん契約通りに先方に用意してもらえました。
その後、インターン教師として寄宿学校へ移ることになったものの、ありがたいことに、また学校の休暇が始まったら戻ってきていいよ、と奥さんから声をかけてもらったのです。
しかも、お金のない私のことを気遣って、ベビーシッターをするなら滞在費は無料にするとの条件でした。もちろん、家族のご好意に甘えることにしました。
夏休みが来てチューリヒ郊外のホームステイ先に戻ると、以前と同様、家族たちに歓迎されましたが、ひとつ異なっていることがありました。
春にはあった私の個室が、既に赤ちゃんのものになっていたのです。正確には、もともと赤ちゃんの部屋だった場所を私が使わせてもらっていただけなのですが。
その部屋で私が愛用していた机とイスがなくなっていたので、赤ちゃんがいないときでも勉強部屋として利用することは無理でした。ベビーシッターとしておいてもらっていた以上、自分の個室がないのはしかたがなかったんですけどね。
その後、休暇のたびに一家を訪れ、少しずつ成長していく赤ちゃんを見るのを楽しみにするいっぽう、日本の習慣との違いで驚いたことがあります。両親が、わずか1歳そこそこの時期から娘にプライベートな空間を与え、夜は自分の部屋でひとりで寝させていたことでした。同時に、自分たち夫婦のプライバシーも子どもに尊重させるという立場をとっていました。
夜、赤ちゃんの寝つきが悪いときは、心やさしいお父さんがよくあやしに行っていましたが、子どもがどんなに泣き叫んでも、絶対に夫婦の寝室へ連れ帰ることはありません。
よちよち歩きの赤ちゃんが、ベッドから廊下へ這い出して両親の部屋のドアをたたこうものなら、すぐさま、「ここはおまえの部屋じゃないでしょ!」と怒られて自室に連れ戻され、無情にもドアを閉められるのです。
めげずにまたトライしても、再び連れ戻されます。何度でも同じ光景が繰り返されます。もう徹底しています。それに比べると、日本ではよく、子どもが両親にはさまれて川の字になって寝ることがありますよね?少なくとも、私が子どもの頃にはごく一般的なことでした。
そういえば、「外来語の“プライバシー”にあたる正確な日本語がないのは、障子やふすまで仕切られただけの伝統的な日本の家屋では、そのような意識自体が薄かったから」、という説明をどこかで読んだ記憶があります。こんなちょっとした習慣にも、東洋と西洋の文化の違いが表れているような気がします。
- 次ページ : 空港からのお別れ電話
- トップページ : スイスでのインターン体験記