ドイツの日本人一家2
スイスの寄宿学校で会った日本人女生徒Nさんのお誘いで、春休みにフランクフルト駐在のご家庭に滞在したときのこと。家の中は、ここがドイツということを忘れるほど、日本らしい品々であふれていたのです。
あるとき、お母さんとNさんに誘われて外出することになり、途中、お母さんの知り合いの日本人女性とも合流してフランクフルトの街に出ました。でも、行った先は、やはり日本人らしい場所だったのです。
日本料理店でお昼ご飯を食べてから、あるビデオレンタル店に行くと、そこには、日本のテレビ番組を収録したらしいビデオが山のように並んでいました。
Nさんの家にあったのは、どうもここから借りてきたもののようです。お母さんは、よくこの店に来るとおっしゃっていました。
そこで何本か借りたビデオのひとつに、私が大阪の実家で欠かさず見ていた関西の人気深夜番組「探偵!ナイトスクープ」(ローカルなネタですみません。関西以外の方はどれぐらいご存じなんでしょう)があり、その夜、Nさん一家とリビングで番組を見て大笑いしたのを覚えています。
(まだ上岡龍太郎さんが局長をされていた頃で、ネタのひとつに母校である関学のグリークラブが出てきたりしました。)フランクフルトで関西のお笑い番組を見るなんて、なんとも不思議な気持ちでした。
そんなあったかいご家庭でありながら、Nさんのお母さんは、言葉や文化の違うドイツでの日常生活にかなり苦労されていたご様子です。
たぶん、当時40代後半ぐらいの年齢だったと思いますが、何より、自ら望んだ海外生活ではなかったという点が大きかったようです。ご主人は会社のお仕事があり、お子さんも学校へ通って徐々に環境になじむことが可能です。でも、専業主婦のお母さんには家庭以外に居場所がありません。
市民大学の語学講座に通ったり、日本人の知り合いを見つけたり、とできる限りの努力をされていましたが、主婦業をしながらドイツでの生活に溶け込むのは難しいようでした。ご家庭に日本的な要素が詰まっていたのもわかるような気がします。いきなり全てドイツ式にしろといわれても、実際に適応するのは並たいていのことではありません。
いっぽう、私は皆さんに気を遣っていただき、やさしいご家族に囲まれて快適すぎる毎日を送っていました。何か、これまで張り詰めていた緊張の糸がふっと切れてしまったみたいです。で、あまり長くいると、楽をすることに慣れてしまい、もとの厳しい環境には戻っていけなくなるのでは、と心配になったほどです。
結果的には、このときほどよい充電ができたおかげで、帰るときには元気が倍増していました。人間はやはり、憩いの空間をどこかに持っていたほうがよいのかもしれませんね。スイスの寄宿舎へ戻ってすぐにお礼状を出しましたが、ありがたい気持ちをいくら伝えても伝えきれませんでした。
その後、Nさんのご家族は、2年間のドイツ滞在を無事終えて、東京に戻られたと聞いています。帰国されたお母さんは、さぞかしほっとされたことでしょう。今でも私は、あのときお世話になったNさんご一家への心からの感謝の念を忘れてはいません。
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