ロシア在住キャリア女性
スイスで出会った日本人に、もうひとりすごい人がいました。こちらは女性で、年齢は当時30歳ぐらい。なんと、ロシア在住のシングルマザーで、日本からやってきたお母さんと3歳の娘の3人で暮らしていたのです。
そこへ至るまでにはいろいろあったらしく、今は事情あって兄弟や親戚とは絶縁状態のため、頼れる身内はお母さんただひとりということでした。
この女性は、私のホームステイ先の奥さんの友人(男性)が中国に語学留学していたときに知り合った人で、今回、その男性の招きでスイスへ遊びに来たらしいのです。
彼女に会ったのは、そのホームステイ先に知人が集まってちょっとしたパーティを開いたときでした。お互い、日本人どうしなのですぐに打ち解けましたが、いろいろとお話ししているうちに、彼女のスケールの大きさを感じずにはいられませんでした。
この女性は、東京の大学を出てからある有名なベンチャー系企業に就職し、すぐに月数十万は稼ぐようになったそうです。その後、退職し、北京留学で中国語をほぼマスターした後、ロシアのモスクワに渡ってテレビ局のレポーターの職を見つけたとか。
日本に向けた衛星放送番組では、彼女が現地レポートする姿が何度もテレビで中継されたらしいのです。一時アメリカに住んだ時期もあったようです。
そんな経歴を経て、日本語、英語、中国語、ロシア語の4ヶ国語を操るようになった彼女は、アメリカ人、ロシア人の男性と親しくなり、もめごとがあってどちらとも結婚することなく娘を出産。心配してロシアまで飛んできたお母さんとも同居することになったといいます。
(なんか、まだ若いのに波乱万丈やな、この人・・・)経歴を聞いた私は、自分とのあまりの違いに呆然としました。モスクワって治安は大丈夫なんですか、ときくと、寒さは半端じゃないし、物騒な事件もあとを絶たないとの答えでした。
「でも、今さら日本に帰って“逃げてきた”と思われるのもいやだから、こっちに残ってがんばるしかないのよ」毅然と言い放った彼女は立派でした。対する私はどうかというと、安全なスイスで1年余りを過ごした後、両親の待つ大阪の実家へと戻ることになっていたのです。
(彼女と年もあんまり変わらんのに、私ってすごい甘えてる感じ)---自立することの重要さを実感した瞬間でした。
この女性に会ったのはそのときだけですが、ホームステイ先の奥さんによると、彼女は、ロシアに比べてはるかに気候がよく、暮らしやすいスイスへの移住を希望していたそうです。実際はビザの問題もあって難しかったようですが。
あれから約10年、私もさすがに自立できたものの、当時の彼女の生き方には、まだ“追いついた”といえる自信がありません。
- 次ページ : ドイツの日本人一家1
- トップページ : スイスでのインターン体験記